Dan Gillmor氏来日イベント
CNETの渡辺氏のblogで告知されていたダン・ギルモア氏の来日イベントに行ってみた。
米国の参加型ジャーナリズム=ダン・ギルモア氏を囲んで (FPN)
会場での一問一答のやりとりは渡辺氏のメモで、会場の空気感も含め、よくカバーされている。もっとアグレッシブにWebメディア、草の根メディアの優位性を主張するのかと思ったら、非常に常識的な答えだったため、肩透かしと感じた来場者もいるかもしれない。が、わたしはむしろひとつひとつ言葉を選びつつ答えていく、ダンの思慮深い人柄に好感をもった。ただ、来場者から寄せられた質問内容を司会役の方が英語にするときにちょっと端折り気味だったのが残念。一部、質問の意図が正しく伝わっていないと思われるところがあった。「草の根メディアの台頭で、既存メディアの役割はどう変わるか?」という質問が、「既存メディアはどうなる?」と聞いてしまったため、「消えてなくなることはない」という当たり前の答えになってしまった。これはわたしも彼の答えを直接聞いてみたかったので、ちょっと残念。
さて、1時間足らずの話の中でわたしの印象に残ったのは二点。ひとつは話が進んでいくうちに、どうも会場内の1人1人のもつ「ジャーナリズム」のイメージがバラバラなようだ、と気づいた人が、「ちょっと待って、あなたの考えるジャーナリズムの定義ってなに?」と質問したこと。そう、ジャーナリズムの定義自体が、非常に曖昧なものなのだ。特に日本では、マスメディア=ジャーナリズムというイメージでとらわれてしまっている人が少なくないのではないかと思われる(今日の会場内にいた人はその傾向が最も少ない集団だろう)。
もうひとつが、そうしたやりとりの中でダンが例として、ロンドン地下鉄同時多発テロの写真を例に挙げたこと。「素人によって携帯デジカメで撮られたその写真は、瞬く間に世界のメディアの一面トップとなった。撮影者は報道を意図してその写真を撮ったわけではないかもしれない。ジャーナリズムの存在を意識すらしていなかったかもしれない。また、その人は今後二度とジャーナリズムに類する活動を行うことはないかもしれない。しかし、その場所、その瞬間のそれはジャーナリズムだったのだ」というダンの言葉に深くうなづいてしまった。
会場のやりとりを耳に入れつつ、パラレルで思いを馳せていたもうひとつのテーマは「やはりジャーナリズムの歴史や成り立ち自体が、アメリカと日本では大分違うのだな」ということ。今、TOEFLの勉強をしていて、出題パターンのひとつにアメリカの開拓と発展の歴史があるのだが、ひとつのテーマとしてメディア史がある。やはり国土が広いだけにもともとローカル新聞という文化が下地としてあるんだよね。メディア史としては、その後大手に集約されていき、ローカルの独自色が薄れてきた、ということになってるけど、個人ジャーナリズムの発展は、そうしたローカルジャーナリズムのかたちを変えての復権とも言えるんじゃないかな。日本に当てはめて考えた場合の理想の到達点というものも、少し考えていく必要があるかな、と思った。そんなことを考えながら参加した懇親会では、FPN/アリエル・ネットワークの徳力さんをはじめ、いろいろな方とお会いし(他の方は一応お名前はふせますが)、お話できてとても有意義な時間となった。今日お話させていただいたみなさまにはこの場で御礼を申し上げます。



あらま、トラックバックがふたつ。すいません。。。
Posted by: SW | September 27, 2005 at 06:20 AM