だから、他の誰かとは違う判断基準に拠った方がいい結果を出せることもある。必要なのは、それを信じること。他の誰かの判断基準に従うことは、自分の人生を他人に責任転嫁することだ。自分を信じられない弱い人間が“逃げ”としてすることだ。
昨日、非常に良い集まりに参加する機会があり、そこでいろいろな方とお話させていただくなかで、自分の中でもやもやしていたものがだいぶクリアになって、いい気分で帰ってきた。そしたら先日のEntry、clip - 「ふつう」や「常識」は第二オプションに、元になるEntryを書いたソウさんがコメント&TrackBackをくれていて、そこに引用されていたSudaさんの2003年のEntryの内容が、あまりに今のわたしの気分にぴったりだったのでびっくりした。この「17歳」は、わたしだ。
あまりにも多くの人達が誰かの生き方の「改善」モードから、企業が
どこかの企業の「改善」モードから抜け出しきれないでいる今、
あなたと私は、何かでユニークな事をしましょうよ!
今はまだそのユニークな事が何か発見できていないし、それは
明日になるのか、20年先になるのか解らないけれど、生きている限り
きっと成し遂げたい。Jerry Garcia said “be the only ones who do what we do.”
Sounds like something good enough to live for!
昨日の集まりでクリアになったのは、自分の本来の強みについてで、その根幹は自分の力不足が明らかな状況から、それを克服して逆に周囲をリードするところまで到達できた経験にある。まさにソウさんが書かれている通りなのだ。
自分の現状と無関係に理想像を設定してしまうと、自分とその理想像の乖離に落胆するばかりの日々を送ることになりそう。「ふつう」や「常識」は第二オプションで書いたことにも通じるけど、自分をじっと見つめてやりたいこと、できることを地道に追求していけば、自ずとオリジナルな存在になれるはず。
自分にとって膨大な量の仕事や勉強を抱えてみて初めて、一つ一つ自分が出来ることをやっていこうという気持ちになりました。
最近また新たなチャレンジに立ち向かうにあたって、自分の力不足(“怠惰さ”といった種類の弱さも含めて)からフラストレーションを抱える状況になっていたのだけれど、いろんなところからヒントがやってきて、急に雲が晴れるようにクリアになった。ソウさんとのやりとりがなければ、普段見ているSudaさんのblogとはいえ、2003年のあのEntryまで辿り着かなかっただろう。昨日会った方は、迷いのあるわたしに「挫折はそこであきらめれば“負け”になるけど、あきらめずにチャレンジし続ければその一時的挫折は“負け”じゃない。それを決めるのは自分自身の行動だ」と教えてくれた。こういうことがあると、どんなに格好悪くても、もがくようにでも、求め続けていれば答えは与えられるのだなあ、と思う。梅田望夫氏が哲学者アランの言を引いて「悲観主義 PESSIMISME は自然的なもの。楽天主義/楽観主義 OPTIMISME は生来の悲観主義 PESSIMISME をしりぞける為の意志的判断。」と言っていたが、これも今このタイミングだからこそ響くのだ。
Time is much too short to be living somebody else's life.
[Des'ree / I Ain't Movin']



ブログのクリップの文法がおもしろいですね!
ブルードットなんかは使ってますか?
あれも便利です。
Posted by: ヒマナイヌの川井 | March 30, 2007 at 10:29 PM
文法、おもしろいですか?!
自分の感触をそのまま留め置くことを優先してるので。
ブルードット、使ってないのですが、試してみようかな。
Posted by: kush | March 31, 2007 at 05:35 PM